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2015年02月10日
 鳥の大群
毎朝静波海岸に看板犬と共に散歩に行くのだが、この一週間ほど夜明け過ぎに鳥の大群と出くわすようになった。数百羽が隊列を組み次から次へと伊豆半島方面に向かって飛んでいく、少なくとも数千羽の鳥であろう、かなり上空を飛んでいるので、なんの鳥かよくわからない。やや首が長いので、ひょっとすると鶴か白鳥かあるいは雁かなどと想像をめぐらしたが、同じく犬の散歩をしている物知りじいさんに聞くと「あれは海鵜だよ」とのこと。さらに日暮れ前には逆の方向へ帰っていくということを知り。単なる給餌行動だったようだ、しかし結構圧倒された。
2014年12月02日
 あわただしい師走となり、初冬の寒さが身にしみるこの頃です。愛犬と共に牧之原市静波海岸に毎日散歩に出かけます。元気いっぱいで水の中にもジャブジャブ入ります、それが済むと砂浴びをして全身砂まみれになってしまいますwwwwこの季節は
温かい飲み物とバランスのよい食事が健康の秘訣と考えます、お元気に御活躍できますようお祈り申し上げます。
2014年06月17日
 巣立ち
今年は3年ぶりに燕が巣掛しておそらく卵を5個産んだ、卵が孵る頃に残念ながら1個が巣から落ちてしまったが、4羽のヒナはスクスク育ち巣立ちを迎えた。夜になると巣は親子でギュウギュウ詰め状態になるww。一週間ほど、そんな状態が続くのだが、この時期、私が思うに親ツバメは2番子に向けて発情するのだと思う。燕の母さんを追いかける父さん以外の雄が現れたりしてスイートホームはてんやわんやだった。
2014年06月03日
 抜糸
『ふく』は今日抜糸した。出血とか不安だったが1分ほどで終わり、やれやれだ。先生が「もうシャンプーしても大丈夫」と言ってくれた、犬だから犬臭いのは仕方ないとしても、完全に犬臭さは抜けないにせよありがたいことだ。私の通っているのは犬猫診療所という病院なのだが、結構評判がよくて今日も抜糸だけだから料金はいりませんよと言ってくれた。ただ『ふく』はここが嫌いなようで玄関から入りたがらず後ずさりして抵抗したwwww
2014年05月27日
 看板犬『ふく』はニューハーフになってしまったので楽しみと言えば食べることと散歩だ。最近は近くの海岸に行くことが多いのだが朝5時から散歩をせがんでキュインキュインと鳴くww。海岸を元気に走り回るのであるが呼んでもなかなか帰ってこなかったりする。流木を持ち帰っておもちゃにして遊んでいる。
2014年05月19日
 看板県『ふく』の手術が終わった。その日の内に退院してきて、やや疲れた様子だったが今日になってみればかわらず元気に走り回っている。ただ傷口が痛いのかさかんに嘗めまわしている・・・痛そうだwwww
2014年05月18日
 去勢手術
今日はこの犬をもらってきた時からの御約束の去勢手術の日だ。中国宦官の手術でもほとんど成功していたというから、麻酔と衛生設備の整った病院であれば、まず間違いなかろうと思うのだがそれでも少し不安だ。
2014年04月10日
 看板犬『ふく』
看板犬『ふく』も7カ月になった、少し垂れていた耳もピンと直立してなかなかの面構えになった。食欲も旺盛で8キロを超えてしまったww・・・8キロを超えると扱いが中型犬になるらしいのだが、これ以上大きくなるとなぁ。。。。
2014年02月13日
 看板犬修行中
柴系雑種のフクは看板犬の修行中だ、普段はストーブ前でぬくぬくしているので、店前に繋ぐと寒そうだ。このところ2週間で1K近く体重が増え7キロに迫りつつある、当然パワーも付いてきていて、やんちゃざかりの小学生という年齢だ。人に対しては絶対に吠えないし噛まない、見知らぬ人には一応遠慮がちに近づくので危険はないのだが、その人が犬好きで、なでてくれようものなら思い切り甘え始めるし遊んでくれとせがむ。落ち着くのはいつのことか。
2014年02月03日
 看板犬修行中
12月上旬に生後3カ月でもらわれてきた柴系雑種の「ふく」だ。2.4キロだった体重が2か月足らずで5.5キロを超えた。なるべく人が好きになるように、絶対に噛まないように育てているが、なかなかの悪戯好きで思うようにならないところもある。今日は暖かだったので、念願の看板犬修行を始めて見た、ロープで縛られる経験がないので、すぐに家に入りたがる、修行の道はきびしそうだ。
2014年01月16日
 本日発売 合格ふく子さん
合格祈願でふく子さんを使ってくれる方が多いので、合格ふく子さんのバージョンを追加した。合格メダル入りで850円で販売する。
たまたま、合格グッズの取材の日に当たり、この商品が静岡第一テレビで金曜日に放送されることになった。キャスターの佐々木さんとちゃっかり記念撮影をしていただいた。
2014年01月07日
 ペットボトル
茶業社の初顔合わせがあり、ペットボトルが話題となった。特に売上を伸ばしているのは、『にごり』があり、急須で淹れたお茶に近いという・・社の製品だという。ペットボトルが家庭の冷蔵庫に入って久しいが、急須のない家庭が増えているらしい。急須も、急須で淹れたお茶も日本の文化だ、テレビドラマでよく描かれるが『ほっ』とした雰囲気はペットボトルでは無理だと思う。急須とリーフの需要が増すように努力しなければならない。
2014年01月01日
  初日の出
あけましておめでとうございます、旧年中はたいへんお世話になりました。今年も相変わらずご愛顧頂きたくお願い申し上げます。
 今年の静波海岸は例年以上に賑わっていました。風も穏やかで静かな海岸にたくさんの焚き火と太鼓の音、いつもの元旦の風景ですが改めて一年無事過ごせた感謝と、今年一年が平和であることを初日の出に願いました。雲に隠れてなかなか顔を出さなかったのですがなにやら幻想的にかすむ初日でした。
2013年10月23日
 金木犀
忙しく日々を過ごしていて、冷たい風に深まる秋を知る。どこからか美しく清楚な香りが、金木犀だ。枝を取り店に飾ったのだが、来客の一人に「金木犀アレルギーってあるんだよね」と聞いた。どうもはっきりしたアレルゲンではないが、それらしい症状はふえているようだ。
2013年09月02日
 名も知らぬ蔓植物
頂いた鉢植えの蔓植物が開花した。控えめな赤色が初秋にふさわしいと思った。しかし9月に入ると言うのになんと暑いことか、真夏の太陽と変わらぬ強い日差しが朝から照りつけてくる。秋風が立つ頃にお茶の味も深みを増し・・・などというお茶屋さんの決まり文句もむなしく響く今年だw
2013年08月05日
 寄り子っさん
近くに江戸時代から続く寄子神社という小さな社がある。縁あって去年から神事の時間にお邪魔してお神酒を頂いている。この神社は坂口谷川の河口から2Kほどにある。江戸と関西を結ぶ物資輸送路として西回り海路があったのだが、その小さな寄港地あるいは補助港として栄えた場所なのだ。由緒もしっかりとしており、すでに港が消失した明治以降も年に一回のお祭りを守り続けている。神事や祭典はその内容も大事だが、純粋に神社を尊崇して出来る範囲で継続することが貴いのかと考える。
2013年07月31日
 蓮の花
近くの山間の清水が流れる一角に浜松世界花博覧会の残滓(ちょっと妙な言い方だ)である蓮畑がある。大きいものは子供の背丈ほどあるる、背の低い種類も植えられていて全部で4つほどの畑になっている。最近その中で最も大きいハスの花が咲き始めた、まるで作りもののような、夢のような花が次々と咲いていく。清水のハスは大型ならず、泥田のハスが大きく花開くという、苦界に身を置き夢を咲かすのが貴いのでしょう。
2013年07月30日
 1000円バーガー
ちょと前のことだが、なにやらこのバーガーを買うために並び、やっとの思いで購入し皆で食べることとなった、立派な箱に鎮座していてあたりを圧する気品と豪華さに満ちている。見た目は実に1000円以上だ、馬子にも衣装、女は衣装髪形というような具合で外装の威力に恐れ入る。さて4等分ほどして味わったのだが、う~む、まあ予想したことではあるが、普通のマクドナルドのチーズバーガーであった。
2013年07月16日
 旅立ち
母親か父親がヒナを空にいざなうのだが、ヒナの体力と飛翔力を見抜いているのだろうか?なんとも不安で突然の旅立ちであった、朝ヒナを外に出すとあっと言う間に隣の屋根の上に飛んで行った。屋根ので15分ほど留まっていて、カラスに襲われないかと不安だったがいつのまにか見えなくなり二度と戻ってこなかった。う~ん心配だがどうしようもない。
2013年07月12日
 母親の羽、無残
カラスに対して特に何の感情も持ち合わせていないが、燕にはなぜか親近感を覚えている。そもそもカラスが犯人だという証拠も目撃者もないのだから、もしそうでなかったのならごめんねw
ともかく大人の羽が落ちていて5匹のヒナがいなくなっていて、たった一匹のヒナが残っていたということからのカラス犯人説なのだが、あとネコ、ヘビ、ネズミなども疑われるのではあるが、知り合いに聞いてみると圧倒的にカラスの犯罪率が高く、似たようなケースをいくつか聞いた。
2013年07月11日
 つばめスクスクだが
今日アップした写真には少々説明が必要だ、一週間前のことなのだが朝店を開けると、親燕が軒先で茫然としている・・あるいはそう思われたw・・いつもならギャアギャアと餌をねだる6匹のヒナの声もない、足元には親ツバメのむしり取られた羽が落ちている。状況は悲劇を物語っている、巣をまさぐってみると一匹だけヒナが生き残っている。そこから残った父親(そう決めつけている)と私とで子育てをしているのだ。
2013年07月04日
 キャプチャーソフト
NHK美の壺に制作日記のコーナーがあるのだが、磯野さんと武田さんの楽しいこの動画を緑茶販売イベントで利用させてもらおうと思ったのだが、なかなかファイルに落とし込めないw
SWFを録画できるソフトを探していたらAG-デスクトップレコーダーというのがあり、デスクトップ上のSWFをキャプチャーしてくれた。
2013年06月29日
 熱い緑茶
夏になると一般的なリーフ緑茶の需要は低迷する、しかし近年ペットボトルやら冷茶商品は夏の緑茶として完全に市民権を得たように思える。しかし世界を見渡してみると、冷たいお茶というのはごく少数派だと思われる、一年を通して熱い中東イスラム諸国でもチャイはホットが普通のようだ。
2013年06月26日
 美の壺の礒野佑子アナウンサー
礒野佑子アナウンサーはしっとりした日本人らしい美人だ。最近はナレーションを担当する番組も多く、知的で落ち着いた雰囲気が耳にやさしい。当社の茶柱を立てて無邪気に喜んで頂いている・・こういった純粋で明るい性格も彼女の魅力なのかと思う。ありがとうございます。
2013年06月25日
 美の壺 スタッフ制作日記
友人から指摘されて知ったのだが、美の壺のホームページにスタッフ制作日記というコーナーがある。ここで5分ほどの動画がアップしてあるのだが礒野佑子アナウンサーと茶柱を取材して頂いた竹田晋也さんが茶柱談義を盛り上げていてくれる。う~ん、ありがたいなあ。礒野さんの茶柱を立てるところは必見だw
2013年06月20日
 ためしてガッテン
昨日放送のNHKためしてガッテンを視聴した。こういった番組を高いクオリテイーで毎週作り続けるのはたいへんだろうなと感じた。私のようなプロが見ても、新しい知見があるということは、一般の方にはとても不思議な焙じ茶の世界にいざなわれたということか。ほうじ茶は茶柱が立ちやすいというのをもっと突っ込んでほしかったな・・当社の茶柱も焙じ茶応用だからw
2013年06月19日
 ほうじ茶の秘密
ためしてガッテンのほうじ茶特集が今夜放送される。茶問屋では今ちょっとしたほうじ茶パニックだw
昔からほうじ茶を扱っているのだが、本当のことを言えば、ほうじ茶の弱点は軽いことと単価が安いことだ、10K送ると送料が30Kぐらいかかる。
今メール便で対応できないものが現在考慮中だがなかなか困難そうだが頑張ってみようと思う。
2013年06月18日
 ほうじ茶の件
なんか今業界では、焙じ茶が話題だw
というのもNHKの番組で焙じ茶が取り上げられるからだという。たしかに当社でも焙じ茶は安定したお客様があり、人気商品だ。実は当社の茶柱ティーパック『ふく子』もほうじ茶の性質を利用したものでNHKの美の壺でも紹介された、近々セール商品に追加しようと思っています。
2013年06月13日
 再放送
NHK美の壺の再放送が一昨日行われた、いろいろお問い合わせや御注文を頂いたのだが、ネット環境にアクセスできない方には商品名や会社名が示されない放送では当社にたどり着くのが困難なんだろう。というのも昨日御注文を頂いたのだが、静岡、茶柱ぐらいの情報しかないので静岡県庁に問い合わせしたら調べてくれたとのこと、県庁の職員さんに感謝します、ありがとうございました。
2013年06月10日
 撮影現場
美の壺はNHKの番組だが撮影そのものは委託された撮影企画会社が担当している。朝7時30分ごろお店のレイアウトを整え始めてカメラテストを経て一つ一つ丁重に撮影が開始される。最終的にはほんの5、6分の映像だが、もしかして必要かもしれないと思われる映像をも撮影してたっぷり5時間の撮影でした。たいへん興味深い経験でした。
2013年06月09日
 茶柱生産急ピッチ
NHKの番組美の壺はメインキャスターの草刈 正雄さんの軽妙なトークと質の高い映像で人気です。番組中盤でサラリと紹介された茶柱ティーバッグ『ふく子』、しかも商品名も会社名も全く放映されないのですがネット社会では検索でたどり着いて頂けるのだと感謝しています。茶柱は一本一本手作りなので大量生産ができません、一本一本茶柱を選び加工して整形する作業をしています。
2013年06月08日
 ありがとうございます。
昨日のNHK美の壺の放送後電話やメールで多くの注文やお問い合わせを頂きました、本当にありがとうございます。現在茶柱ふく子さんを中心に当社のリーフ茶、ティーバッグと共にセットセールを開催しています。セール中は一般の御注文でも茶柱ふく子さんを1個サービスしています。この機会にぜひ静岡の本場牧之原の緑茶を飲んでみて下さい。
2013年06月07日
 美の壺で紹介されます
去る4月17日にNHKの美の壺で当社商品の 茶柱ティーバッグ『ふく子』を取材して頂きました。草刈 正雄さんがメインキャスターを務めるこの番組は、美の鑑賞マニュアルということで、日本の美などに焦点を当てて楽しく、美しく解説していてくれます。今夜のBSでの放送が楽しみです。
2013年04月24日
 新茶最盛期入りw
かなり早いペースで新茶の摘み取りが進んでいる。
4月11日12日に山間部などでは、霜害があったようだが、私達の牧之原台地では順調に育成した新茶が生産されている。当社でも毎日新茶が持ち込まれている。相場は去年よりもやや安めに推移しているが、茶の品質は去年よりよいようだ。
2013年04月17日
 新茶売り始め
今年は3月から暖かな日が続き、例年に比べ1週間ほど早い新茶の摘み取りとなりました。当店でも今日から新茶り売り始めです、今年の新茶は寒い日もなくてスクスクと育った優等生です。これから新茶商品をアップしていきますのでよろしくお願いします。
2013年04月11日
 喫茶余録
これを聞き大いに喜び栂ノ尾から茶を買い求めて常に飲むようにしたところ、医者の言う通りだったと納得した。
そこで抹茶の製法や茶会の形式を書に著した。
この時丹波より上林謀という者が茶を植えるに山城の久世郡の茶が味栂ノ尾に劣らなかったのて、茶園を宇治の里に定む
2013年04月10日
 喫茶余録
珠光は二十歳のころより自らの出家を嫌い、上司の諫言も聞かず、ついに両親にも見放されて法林庵を追われ漂泊の身となる。
三十歳のころに再び禅僧となり京都紫野大徳寺真珠庵に暮らすようになった。書を読み座禅する毎日であったが、睡眠時間が多すぎると感じ医者に問うた。すると生を養い命を保つを賢といい、心は苦きを欲するので茶を飲み心臓を養わなければならない、心は五蔵の君子であり茶は最上の苦みである。茶を喫すれば心臓を強くして無病となる、無病となれば、睡眠時間は少なくて済むということを珠光は知った。
2013年04月08日
 喫茶余録
和泉の国南部中の御門という所の村田杢市検校という者に一人の男子が居た。
幼名を茂吉といい、十一歳の時近くの北市の邑称名寺に預けられ出家し珠光と名乗った。18才のときには称名寺の法林庵に住んだ(今称名寺の奥に井戸がありここは法林庵の跡地であり、世人は珠光が井戸と呼ぶ)。
2013年04月06日
 喫茶余録
しかし薬研にて茶を砕きいくつかの方法で抹茶を製造していたと思われる。
現在のように茶会の形式を定め、古器珍具をもて鑑賞する形式が確立したのは、足利八代将軍義政公の時代、応仁から文明の僧、珠光が京堺南都に居る時に茶会を開いたことによる。
応仁から天正のあいだ訳140年に渡って和漢の珍器、書画も好事家の元に収集された。現在名物とされる茶器はみなこの時代に集められたものである。
2013年04月01日
 喫茶余録
東鏡には健保2年栄西帰朝の折、茶の種を携え来りて、筑前の博多に植えた。
さらに其後鎌倉で将軍実朝公の熟睡の病を治したという。
栂ノ尾の明恵上人は、この博多の茶を移し植えて、茶を蒸すこと、焙じる製法などを伝え。
このことにより我が国でも茶の風雅を嗜むことが盛んになったのだが、未だ石臼というものはなかった。
2012年08月19日
 スイトピー
グリーンカーテンに最適と書いてあった『スイトピー』なるマメ科の植物を植えてみた、おどろくほどの成長力あっという間に・・2か月ほどでグリーンカーテンが完成した。どこまで伸びるのか、いつまで伸びるのか実は付けるのか・・・おそるべしスイトピー
2012年08月21日
 ユリ
だれが植えたわけでもないのに、りっぱなユリの花がそこかしこに咲き乱れている。野生のユリなのかしら、あるいは特定の種類なのかしら。身の丈ほじの高さに咲いている立派な花を見るとなんだか嬉しくなる。
2012年08月22日
 アプテニア
石ころだらけの庭の一角を植物で覆いたいと思い知人に相談したら『あたしんところにあるグランドカバーってのはもーーー繁殖力つよいつよい』という訳で頂いて簡単に植えておいたらその言葉通り、とんでもない繁殖力と強さでいまでは完全に石ころの上をグランドカバーして、なんと蝶やら、カエルやら、カナヘビなどが出現するような一角になった。なにやら調べてみたらアフリカ原産のアプテニア(ベビーサンローズ)のようだ。
2012年08月24日
 ハイビスカス
この色もいいね、この木にはなにやらいろいろな色の花が咲いてくれる。なにか南国のパレットみたいだ。私はこのオレンジ色というのがとても好きだ、食欲をそそられ、明るく開放的な気分にさせてくれる。
2012年08月25日
 百日香
さるすべりの花はよく見るとなかなかかわいらしく、柔らかな形状をしている。長い夏の間を咲きとおすその生命力には驚かされる。ただ『さるすべり』に関しては異議がある、たしかに木肌がつるつるしてはいるが、それぐらいのことでは決して猿はすべらないと思う。猿にしてみればいわれなき中傷だ。
2012年08月27日
 飯室乃神社
牧之原市細江は今川家、徳川、武田の勢力争いに何度も巻き込まれた土地だ。写真の神社は飯室乃神社といい延喜式神明帳に名のある『飯津佐和神社』であると言われている。同じく牧之原市相良に飯津佐和乃神社があり本家争いしているのだが神社新築に伴いいくつかの発見がありどうやら軍配は飯室乃神社にあがりそうだ。
2012年08月29日
 いいなハイビスカス
今日はピンクの花とオレンジの花がさいている、いいなハイビスカス。南国の花・・始めてみたのは沖縄だったのかもしれない、静岡でスクスクと育ち開花を繰り返すということは、静岡は昔の沖縄並みの気候風土になつているのかしらとも思う。温暖化は悪い面ばかりではない、南国の動植物はみな艶やかで、煌びやかだ、身近に南国を感じる環境はとてもよい。
2012年09月01日
 かまきり
なんともみごとな造形だと思う。カメラを向けると威嚇してくる姿なんぞは、ティラノザウルスと同じ反応だよね、獰猛・肉食がくくりかしら。こいつらは一般的に緑なんだろうけど季節によるのかしら実にさまざまな色合いをみせる、晩秋になると麦わら色のが多いような気がする。写真の個体がそのように変化するのから?・・・
ともかくすごいね造物主は。
2012年09月04日
 楠
近所の円城寺というお寺に昔からこの楠は生えている。子供が手をつないで5人ぐらいでやっと届くぐらいに太く大きい、私の子供のころの遊び場だった。アオスジアゲハが飛び、鯉やフナを採り、ヤマモモや椎の実を集めた場所である。今は宅地やら、墓地やら、駐車場やらになって昔の面影はないがこの見上げる楠だけは健在だ。
2012年09月05日
 花の名は知らず
散歩の途中に咲く黄色い美しい花、相変わらず名前が解らない。くやしい一体自分はなんのために生きてきたんだと思っちゃう。季節の花300で調べているのだがどうもよくわからん。というか写真が不鮮明で花の構造やら詳細が確認できない。もう一度しっかり撮影してこよう。
2012年09月07日
 たぶん待宵草 (まつよいぐさ)
花の写真の撮り方ってあるんだろうが、どうもピントが合わない。で・・結局この花は待宵草であろうと結論した。待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやるせなさ・・のであるかと思っている。まあ花の中ではメジャーじゃんと考える、この年になって花の名前を探したり覚えたりするのは結構新鮮だ。
2012年09月09日
 夏の終わり
日中の日差しがいくら強くても、夕焼けは確実に秋色だ。騒がしかった海の家も解体が進む、夏の終わりの恒例行事だ。20年ほど前に比べると、静波海岸の海水浴客は激減した、砂浜が消失しつつあることや、レジャーの多様化などの原因が考えられるが、それでも盛夏の喧騒はエネルギッシュで熱くまぶしい。しかし夏の終わりのこの風景はいつもとてもさみしい。
2012年09月11日
 狛犬お色直し
9月15日に古社『飯室神社』の落成式がある、今朝通りかかると狛犬が紅をさしていて妙に色っぽい。思わず微笑んでしまった、なんだろうかこの感覚、つまり色を刺しただけで見事によみがえってしまう日本建築や構造物。
2012年09月13日
 葉鶏頭
近所の公園の花壇の葉鶏頭だ、このように色鮮やかになるのは晩夏だからだろうか。雁が渡来する頃に葉が赤く色づくことから。雁来紅(がんらいこう)とも言うらしい。さて雁というのはあらゆる場面で出てくるが、どんな鳥だったのか、静岡にもいるのかなあ。
2012年09月15日
 ボランティアの花壇
朝近くの吉田公園まで散歩する。広大な芝生と季節の花々がきれいに管理されていて、ほとんどディズニーランドと同じぐらいきれいだ。その一角にボランティアの花壇みたくのがある。きっと各団体が手入れしているのであろうが、管理が行き届いていないものが多い、なんかホッとする。
2012年09月18日
 清めの儀
関係している、民間神事『お船神事』の模型船搬出と清めの儀を執り行った。台風の余波の残る海岸で船を清めて結界を張った公民館に搬入する、神事までの3週間ほど、練習を行う。この地方にだけ残る樽廻船800石船の精密な模型を使った神事である。
2012年09月19日
 飯津沢乃神社
飯津沢乃神社の御船神事柱起こしである。夜7時に始まり、30名ほどの船若達が神事を繰り広げる。一般に一度帆柱を起こした商船はめったなことではこの帆柱を倒すことはないという。つまり柱起こしは新造船、進水式の時のイベントなのだ。毎年毎年これを繰り返しているわけだ。
2012年09月24日
 日本犬
専門外なので確証はないのだが、右の動物を見てほしい。葛飾北斎描くところの日本犬なのだが、いつも違和感を覚える。小田信長の時代に西洋犬が入り始めて日本犬の純血が守りにくくなったといわれるが、まだまだこの時代の犬は純血に近いものが多かったんではないかと考えられる。しかしこの犬はなんという種類なのかよくわからない、現在の芝犬の系統には見えないのだ。この犬が純血であるか混血であるかだが・・・
2012年09月28日
 庚申堂の猿
榛原公園という場所があってそこに庚申堂がある。この地区は200戸ほどであろうが、毎年寄附をつのり庚申講の花火大会を主催している。庚申堂の入り口で狛犬ならぬ猿が出迎えてくれる、片方が子連れの猿でなんともかわええ。
2012年10月01日
 都合のいい解釈
次々と花を咲かすハイビスカスの鉢植えを育てているが、このハイビスカスの木は色違いの花をつける特殊な、世にも珍しい品種だと勝手に都合のいい解釈をしていた。ところが、この鉢を見た知人が『3種類の木を寄せ植えにしていて色違いが楽しめるのよね』とさりげなく言った。・・wwww そうだったんだ、無知とは恐ろしいものだ。
2012年10月03日
 和船の縛り
和船模型を使う神事に関わっていて、昨晩は船の縛りの映像を撮った。職業漁師の方とか昔から船に携わってきた人が麻のロープを結ぶのだが、素人にはほとんど理解できない。ちなみに映像は船尾の舵の部分の結びだ。
2012年10月09日
 御船神事
10月7日はこの土地の神明神社例祭だ、江戸時代から続く御船神事を挙行した。30名ほどの船若が勇壮に御船を練る。重さ40キロの800石樽廻船模型が2メートルの高さで木の葉のように練られる、見た目以上に危険だし体力のいる神事である、長い準備期間を経ての本番、怪我もなく無事終わってホッとしている。
2012年10月16日
 美しい船
近くのJAが開店一周年なので、神事に使う『船』を展示してほしいということで、片隅に展示してみた。意外と背が高く天井に帆柱がつかえてしまった。なんとか納めて写真を撮るとなかなかに美しい、普段と違う場所にあると、とても新鮮だ。77歳の船だがえもしれない色気もある、ちなみに船は女性なのだそうだ。
2012年10月22日
 御神木
鎮守の森とかいうが、まあ基本植たものであろうから林というのが妥当かもしれないが、それにしても神社境内の樹木はよく育つと思う。それなりに管理されているからということもあるがなにか不思議なパワーがあるのかもしれない。昔この神社の縁日で雄のカラーひよこを売っていて、育ちすぎてこの神社にそっと戻しに来る人が多く、一時期野生化して飛翔力を取り戻した鶏達がこの木をねぐらにしていたことを思い出す。
2012年10月30日
 冬化粧
空気が澄んで太陽の光がまぶしい。秋が深まり、紅葉の季節だ。金木犀がさき、何もかもおいしい食欲の秋でもある。熱い夏を通り過ぎた緑茶は一層深みを増す。お茶がおいしい季節です。
2012年11月03日
 富士山静岡空港
空港ができて4年ほど経過した、地方空港の中では健闘しているほうなのかもしれないが基本赤字空港である。空港建設の是非を問うた過去には騒音問題が取り上げられたが、実際それほどでもないというのが実感だ。そもそもそれほど便数がないので苦にならないとも言える。当初小松空港に2便飛んでいた路線が廃止され、FDAも少し他空港へシフトしている。
2012年11月07日
 古文書を読みたい
商売柄、あるいは趣味などで江戸の古文書のような字が読めなくていつもくやしい思いをする、いつか読んでやると思ってみてもなかなかにハードールが高くて挫折する。好きな絵でも見ながらなら長続きするかとも思い北斎漫画に書いてある字を読むことにした。鳥鳳で『おなが』・・ちょっと無理っほいが、フリガナの『お』は「於」の崩し字で『が』は「可゛」という崩しだ、漢字でははなから読めないがふりがなはうれしい、まずは変体仮名をよめるようになろうと思う。
2012年11月09日
 くまばち(古文書読みたい)
北斎という人はあらゆるものを観察し表現した。卓越した技量は世界の大芸術家達と比肩することができる。蜂の中では大きいほうだが、小さな昆虫をよく観察している。『ま』は「萬」の変体仮名で『は・・ば』は「者」を崩してある。知らないと読めないよね。
2012年11月12日
 変体仮名はむずかしい
比較的簡単だろうと思った変体仮名だが、なんとなんと、甘くない。まず元の字がよく解らないものがあったり、おそらく書き手のくせのようなものがあったりで読めないものはパズルになっていく。北斎漫画では絵があるのでとても重宝するのだが『あさがお』あるいは『あさがを』かしら?
『あ』は「阿」かなと思う、『が』は「可゛」だが、『お』が解らない。「於」なのかなという気がするのだが・・・いずれ同じくずしが出てくればよいが。
2012年11月14日
 薩摩のかみ
薩摩の守だが『つ』が「川」からで、私には「以」からの『い』と区別が難しい、慣れることかなとも思う、北斎さんのくせと思えば愛おしい。「可」からの『か』はよくでてくるので慣れてきた。『み』は「三」でこの崩し方も、続けて書いてあるとなかなかに判読がむずかしそうだ。絵解をしながらの変体仮名の勉強は楽しいが、いつになったら古文書を読めるようになることやら。
2012年11月16日
 つりがき
今年は柿のなり年らしく、少し郊外を走るとたわわに実っている。なんとも日本的な果物で生でよし、干し柿もたまらなくおいしい。この木の葉には血圧を下げる効果があり、昔この葉でお茶を作ったことがある。すこし酢っぱい味で不思議なお茶に仕上がったことを思い出す。さて『釣柿』だが「鉤」にせよ「柿」にせよ現在の漢字とは少し違う、まあなんとなく解るレベルだが・・・変体仮名にもだいぶ慣れてきたので、本文(ブログ)では北斎に追加して百人一首を勉強していこうと思っている。
2012年11月22日
 韃靼の将かな
韃靼人が鉄砲を撃っている。『だっしょう そうけつのたんぽうをもってみんぺいをうつ』と読むのがよいとおもうのだが、変体仮名というのは続けられるとけっこう紛らわしい。漢字があるから私でも判読できるが、仮名だけだとちょっと自信がない。しかも韃将などという単語ははじめて聞いたし、古典とかまともに勉強した覚えがないから、古語の使い方がよくわからない、だいぶ慣れてきた変体仮名のつもりだったがなんともなんとも結構大変だ。
2012年11月24日
 三玉の亀
 『さんぎょくの亀』ということでよいのだが、さてこの三玉の亀とはなんなのだろうか。webは広範な情報を検索してくれるが、なんともこの亀のことが出てこない。背中に岩を載せその上に玉が三個乗っている。webで引っかかったのは山車の大幕に書かれたこの亀で全く同じ三玉の亀となっている。なにか故事がきっと有るに違いないのだがネットで検索できないとお手上げだ・・・少なくとも北斎さんは知っていたのに。
2012年11月26日
 大苫邊尊
オオトノベノミコトなのでしょう。大斗乃辧神と書いたり、大戸之道尊だったり、日本神話に登場する女性の神様のようです。そして『ちぎ かつおぎのおこり』と読めるのですが、古代建築に関わる建築様式のようです。ただちょっと調べたところでは性を神格化した神であるかのような性格は出てくるのだが、建築に関してはちょっと見当たらないような気がする。葛飾北斎という人はどこまで知識の深い方だろうと尊敬してしまう。
2012年11月29日
 しゅつじんゆうせいのづ
小太りの男が、昔のよろいと兜を取り出していざ出陣という図だと思う。勇ましく雄々しくというよりは、もぉ~めんどうくさいなぁという風情だ、この時代大きな戦があったわけでもないし、庶民でも帰農したような者が昔の武器やら防具を持っていたのかなと思う。なんらかのイベントなのか、あるいはちょっとした出入りがあったのか、彼は出かけて行くのだろう。
2012年12月06日
 蝦蛄
これは蝦蛄ではないと思う、まあそもそも蝦蛄という漢字も場合によっては読める程度の知識で北斎さん突っ込むのもなんだとは思うのだが、『こりゃぁ ロブスターかなんかてしょう?』という訳だ。攻防にも筆の誤り、北斎さんも解説の誤りだ。
2012年12月15日
 青楼美人
昔中国では 高貴な女性や美女の住む屋敷を青い漆で塗ったという。転じて江戸では遊女屋を妓楼(ぎろう)といい。官許の吉原遊郭か格式が高く、ここをさしている場合が多い。鈴木春信は彼女達の四季折々の生活を愛情をこめて艶やかに描いている。おもに変体仮名で書かれた句が添えられているのだがなかなかに読み切れない。ただ当時の風俗が忍ばれて、とても楽しい気持にはなる。''玉乃井 おたひとに こころ もみじ のゆうべ かな''
2012年12月17日
 はぜとだぼはぜ
はぜ、だぼはぜと読むのだが『は』が「者」から崩した変体仮名だ。変体仮名の『は』とか『わ』は結構種類があってまぎらわしい。
だぼはぜとは小型のはぜのことであることが多いのだがドロメ、アゴハゼ、ヨシノボリ、などを指すこともあるという。どちらにせよ、貴重な魚ではなく外道だったり、取るに足らない魚という訳で軽んじた意味でつかわれることが多いようだ。
2012年12月28日
 今年もお世話になりました
毎度ありがとうございます、安部新政権が誕生して経済にも明るい兆しが見えてきた様に報道されています。なにかと苦労も多かった一年でしたが、オリンピックやスカイツリーの完成、山中教授のノーベル賞と楽しく明るい話題も盛りだくさんでした。皆様にとって来年がよりよい年に成りますように御祈り申し上げます。年末、年始休まず営業しております。
2013年01月01日
 謹賀新年
 謹んで新春のお慶びを申し上げます 旧年中は一方ならねご厚情を賜り誠にありがとうございました。皆様にとって2013年が幸多く、充実した年になることを祈念申し上げます。旧年同様 本年も何卒ご愛顧いただけますよう心よりお願い申し上げます。
 今年の初日の出は、ちょうど雲の隙間から太陽が顔をのぞかせて、近年にない美しい御来光でした、日本にとって、よりよい年でありますようにと手を合わせました。
2013年01月07日
 仕事始め
暦から古く唐の大明暦より現れる大吉日である。古老によると「天地開通して、太陽の照らす日。一切の善事に用いて大吉。」と言われている。とあるのでとってもよい仕事始めなのかなと思います。お正月に少し溜まった注文の品を発送しました。お客様にとって今年一年ますます良い年でありますよう願ってお茶を製造してまいります。よろしくお引き立て下さい。
2013年01月16日
 煎茶小述
 これは天保6年【1835年】都龍軒主人山本徳巡潤撰によって著された煎茶の解説書である。古文、古文書の勉強を兼ねて、ここに現代訳してみようと思う。
 茶のはじめ
*神農本経によれば茶の味は苦く、これを飲むことによって思慮が増し眠気を払い、身を軽くして視力が増す。大昔はこれを薬として保管し飲み物とは考えていなかった。
晋の時代になり*杜毓が蕉賦を作った、これが飲茶のはじめである。【早く摘採されたものを『茶』と言い、遅く摘採したものを『茗』と言い、さらに遅いものを『ショウ』という。しかし文章では『茗』とか『ショウ』とか言っても皆茶である。】
2013年01月17日
 煎茶小述
 王褒は僮約を著し(召使の仕事として)犬を飼い。鵞鳥を売る。武陽で茶を買う。等と記述した。
 張華の博物志によれば、本当の茶を飲めば眠気をはらうことができると茶の効用が説かれているのだが、この時代、飲茶が盛んになったというわけではない。
 唐の代になってから、陸羽が『茶教』を著すと、これを境に茶を嗜む風流が盛んになった。
2013年01月18日
 煎茶小述
温庭芍には採茶録を書き、また張又は新煎茶水記を著し盧トウは茶歌を作った。陸亀、皮日休には茶に関して10の詩を表し、この時代では、さらに多くの著作者により茶に関する多くの記述が残されている。
 西清詩話には唐時代は茶の種類が多いが、中でも惟湖州の 紫筍が献上されている。紫筍は顧猪山に産し湖常二郡の間にある。茶の摘み取りは両郡の太守が指揮する一大行事である。杜牧の詩には『渓尽蛮棹を停め、旗張って翠苔に卓』とあり、また劉禹錫の詩では『何れのところか人間、仙境に似たる。春山枝を携えて茶採る時』と当時の鮮やかな光景が思い浮かぶ。
2013年01月21日
 煎茶小述
宗の時代に入ると、飲茶はますます盛んになり、開寶年間では(皇帝や貴族の為に)龍団(龍鳳団茶)を作らせ献上用の高貴な茶として一般の茶と区別した。
その後丁謂、蔡襄が小龍団小鳳を造って献上した。
この時代までは茶というものは、すべて団茶というもので、茶葉を摘み取り蒸してから臼で搗いて団子状にしてから乾燥させたものである。飲用に際してはこれを炙ってから削り粉末にしてお湯に溶いてから飲んだ。
2013年01月23日
 煎茶小述
日本においては*嵯峨天皇の御代、弘仁6年に近江滋賀韓崎に行幸なされし折、梵釈寺の永忠*僧都自ら茶を煮て奉った。また同じ年の6月に畿内5国と近江、丹波、播磨の国に献上用の茶を植えられたと類聚国史に記述されている。この年は唐の憲宗元和10年にあたり、遣唐使と僧徒による唐との往来が盛んであった。当然のように飲茶の形式も唐から伝わったのであるが、この時代ではまだ飲茶習慣が根付くことはなかった。其の後建仁寺を開山した千光国史(栄西)が宗に渡り、帰朝の時(建久2年)茶の子(種子)を持ち帰った。筑紫の背振山にこれを植え、京都に登った折に栂ノ尾の明恵上人に贈った。
2013年04月01日
 喫茶余録
東鏡には健保2年栄西帰朝の折、茶の種を携え来りて、筑前の博多に植えた。
さらに其後鎌倉で将軍実朝公の熟睡の病を治したという。
栂ノ尾の明恵上人は、この博多の茶を移し植えて、茶を蒸すこと、焙じる製法などを伝え。
このことにより我が国でも茶の風雅を嗜むことが盛んになったのだが、未だ展茶というものはなかった。
2013年01月25日
 煎茶小述
*徳潤は祖先より茶製造の技を受け継ぎ、諸国に茶園を開き熱心にその製造に当たった。
彼は茶の伝承をまとめ、煎茶の要を、趣味の文士が喫茶の風流を嗜めるように書き記した。
 茶の効用
茶経によれば 茶は漢方で言う寒の性質で
行い正しく、つつましやかで徳ある人にもっともふさわしい飲み物である
発熱、喉の渇き、肩凝り、むかつき、頭痛、かすみ目、倦怠、関節の痛みなどに効き
四、五口も飲むと醍醐や甘露のようで何物にも代えがたい。
2013年01月28日
 煎茶小述
本草拾遺では新茶を飲めば渇きを止め、食欲を抑える、痰を除き眠気を取り去る、排尿を活発にして視覚を明るくし、意思を強固にする。
神農の食経では茶は長く続けて飲むのがよく、人に力を与え志を高くせしむる。
陶弘景では、古い仙人である昔丹丘子黄山君が茶は身体を軽くして骨を強くすると説いた。
本草では神農が百草を嘗めて一日に70毒に合ったが、茶を発見してこれを解毒することができた。現代人が(古代だが)服薬の時、茶を使わないのは薬を分解してしまうことを恐れているのだ。
2013年01月30日
 煎茶小述
蘇東坡曰が言うには、人は一日でも飲茶を欠かしてはならない、毎食後に濃い茶で口を潤せば爽快な香りに包まれ、胃腸などの内臓を清める。
また歯間のよごれを取り除く、茶を飲めば歯の健康を保ち、蠱毒を消しさる。
鶴林玉露では、茶は眠気を消し滞りを漱ぐので、政治を勤めるのに助けとなる
2013年01月31日
 煎茶小述
あずま鏡によれば、健保3年2月20日将軍家右大臣の実朝公が病気になられ近従は平癒のため奔走していた。
その頃、葉上僧正千光国師が加持に訪れており、これを聞き本寺より一杯の茶を取りよせて実朝公に差し上げた。此の時、茶の効用を説いた書物一巻をも献上した。将軍家は大いに感謝した。
この一巻の書というのが今に伝わる喫茶養生記である。
2013年02月01日
 煎茶小述
その序では 茶は養生の仙薬なり延歳の妙述なり、山谷に生育しその地は神霊が宿るところである。これを人が採ればその人は長命である。この他にも茶徳を褒める古今の語句は枚挙に暇がない。今の世、貴賎の区別なく朝夕の飲茶は誠に好ましい習慣である。
 茶を保管する
劉介翁茶史では、茶は若葉のように薬の臭いを嫌う。温かく乾燥した場所を好み、冷たく湿った場所は適当でない。
2013年02月04日
 煎茶小述
茶を保管する時には陶磁器の壺、あるいは錫製の壺を用い、箱に入れて冷たく湿った場所を避けて収め置くようにする。錫の壺は二重蓋にし密封して使用する、また陶磁器の壺もよく乾燥させ壺く口を固く封印する。紙袋にいれたり、紙で包んだりして一晩放置したりしてはいけない。もし梅雨や酷暑で茶が湿気はた場合、一度焙じて壺に入れ封印する。中国では若葉を乾燥させ壺の周囲にめぐらして箱に入れ冷たい湿気を防御するという、そのようにすべきである。
2013年02月05日
 煎茶小述
器を選ぶ
煎茶では器を選ぶことが肝要である。土瓶は薩摩焼の物を上とし、京都の名工による器や長崎の亀山焼き、肥前の伊万里焼きの器、あるいはその他各地方に多くの優れた焼き物の器があるので、嗜む人々の好みに合わせた器を選択するのがよい。ただその時器の美醜だけを論ぜられるべきでなはない。器は浄潔で小さいものを良とする。小さい器は応用性に富み、一煎の茶を注ぐ時、主人と客で二三巡してちょうど注ぎきるようになり残った茶を捨て必要がない。
2013年02月06日
 煎茶小述
残った茶を捨てて、再び茶を淹れる場合は土瓶を必ずよく洗うべきだ。茶渋が付いたものは熱湯とシュロのたわしでよくこすり洗いをして茶渋を除いてから使用するようにする。茶碗は舶来の上品とか亀山、平戸、唐津、万里など近来諸国で精巧に製造された陶磁器でよい。厚手で茶碗の中が白いものをもちいるのがよい。
2013年02月07日
 煎茶小述
水を選ぶ
茶経では水について最上は山水、次は川水、井戸水は下であるという。山水は乳泉や岩溜りから緩やかに流れてるものを取水し、川水では 人里離れた流れから採る、井戸水では何回も汲み上げた上で取水するようにする。
しかし国によって水脈の性質は異なるものであり、茶に適したものとそうでないものがある。その性質をよく知り、清冷軽甘なる水を選んで茶に使いたい。
井戸水は良い水であっても、二三度ろ過して使うのが好のましい、これを行うかどうかで随分と水質が変わるものである。川水も大雨の後などでは必ず濾過するようにしたい。
2013年02月08日
 煎茶小述
水を貯蔵する時には、清潔な甕に入れ口を密封して、涼しい日陰に置かなければならない。直射日光に晒してはならない。また、川や湖の清流にある白い丸石を取り、甕の中に入れれば水をよく浄化する石は白く透明なものがよく、これを薬缶に入れ沸かしても優れた水を得られる。黄山谷詩に。錫谷寒泉惰石共と言われるのはこのことである。
2013年02月09日
 煎茶小述
雨水も時節によってはよい水となる。中国では梅雨の時に壺や甕をならべて雨水を取水して煎茶に使う。梅雨時の雨水は長期保存に耐えると言われている。但しひどく激しい雨や、にわか雨の水を用いてはならない。雪水も良いとされる、氾勝之書では雪は五穀の精であるとされ、これをもって煎茶を淹れれば、清らかな仙人の境地となることができる。*丁謂の詩には『痛惜蔵書筐堅留待雪天朱子詠雪詩』に『瀹甘差喜破龍団』とあり*陶穀学士が雪水で茶を煮た事がひとつの故事となり、冬の雅興として風流の士の貴ぶところとなっている。但し蝋雪で煮た茶は一切の毒を消し、晴雪は**なので用いてはならない。
2013年02月12日
 煎茶小述
炭を選ぶ
茶経にいはく、茶を煮るには炭を用いる、以前肉を炙ったような木炭は油気があり用いてはならない。
炭によっては臭気があるものもあり、これは茶の香味を大いに損なうので、このようなものは絶対避けねばならない。
2013年02月14日
 煎茶小述
湯加減
茶史で述べられているのは、煎茶の湯加減にはには三沸の法があると説く。李南金が『砌虫喞々萬蝉催。忽有千車稛載来。聴得松風。並澗水。急呼縹色翠磁杯』というの過老(沸かしすぎ?)である。
羅景綸が『松風檜雨到来初。急引銅瓶離竹爐』というのは、適当な湯加減を得たということである。
湯が若ければ茶は甘く、沸かしすぎた湯は茶を苦くする。
2013年02月15日
 煎茶小述
茶には甘い苦いというだけでなく本来の味があって、これを味わうためには適当な湯加減が必要なのである。坡翁詩に『蟹眼巳過魚眼生(お湯が沸騰していく様子)~欲作松風声』とあるのは、湯加減を極めたということなのである。
煎法ならびに焙煎
*李南金性は茶を嗜め言うに、茶は弱い火であぶり、強い火で煮るべきである。また茶経では魚芽湧泉連珠(お湯が沸騰していく様子)をもって水を煮るのだが、最近はやかんで煮るので中を見ることができない、その音で判断しなければならない。
2013年02月16日
 煎茶小述
始めは小さな泡が音をたてる、これを一沸という。
中ごろはヤカンの縁が泉のように次々と泡が生じる、これを二沸とする。
最後は沸騰し煮えたぎるこれを三沸というのだが、これはやはり南金節が沸かしすぎでり、人により若く甘い茶を好む者と苦いお茶を好む者もいるのであると説く。
2013年02月19日
 煎茶小述
太平清話では蔡君謨の湯において若い湯を取り、沸騰した湯をとらないのは団茶を飲むための選別である。現在で芽茶を淹れるにあたっては湯加減を考慮しなければ茶の味、茶の色など喫茶の真髄に迫ることはできない。故に茗戦の捷では五沸にありというのだ。湯加減はそれぞれその喫茶の形態に従うようにしたい。三沸五沸と湯が沸いても火加減が強い訳ではない。炭火に炎が生じるのが強い火加減である。その湯加減で沸騰したころ合いに茶を淹れすぐに火から離してしばらく置き、ヤカンの口から湯気が出なくなり、茶葉が沈む頃、茶は色と香り、味がととのうのでこれを供するようにしたい。
2013年02月22日
 煎茶小述
茶を焙じるには緩い火加減でだんだんと炙る、茶葉が少し湿っている時には火から距離をおいて乾かして瓶にいれるようにする。
緩い火で炙り、強い火で煎じるというのは団茶を煎じる方法であるが、芽茶の時にもかなう方法である。
しっかりと保管された極上の茶は湿り気のない場合、決して焙じてはならない。
2013年02月23日
 煎茶小述
長く貯蔵し梅雨や酷暑を経て湿気を持つ茶は必ず焙じなければならない。
平等の茶は煎じるにあたって必ず焙じなければならない。若葉を洗うならば小籠に盛って茶碗の上に置き箸で掻き混ぜながら湯通しして塵を濾し取ってから瓶に収めると色も味も極めて良くなる。
この場合これを敏速に行わなければならない、緩慢に処理すると茶の気が抜けてしまう。
2013年02月25日
 煎茶小述
西国産唐製の茶はその性質が強烈なので洗った方がよい。
茶は何煎も淹れなければならない、初めは色や香りも薄いものだ、二煎目は醸美芳列である。三煎目は激しい苦味で飲むものではない。
武林の許次紓武と馮開之はかって茶について戯れに論じているのだが、一煎目は美しく、たおやかな13、4歳の美少女のようだ、二煎目は碧玉のような16,7歳娘盛の美女である、三煎目以降は緑葉成陰子満枝つまり二十歳を過ぎ子を設けたなお美しい女性である。
2013年02月26日
 煎茶小述
しかし一煎目はこれでよいとしても、茶の甘美苦列濃淡老若は各々好むところがある。
人々の好みに任せて嗜むのがよいのではないか。二煎目以降は沸かしてしばらく置いたお湯をさして濃淡を調整してもよい。ただし、適当に湯をさせばいいというものではない。
2013年02月27日
 煎茶小述
淹茶【だし茶】(今でいう煎茶)
淹茶は小瓶(お茶用の湯のみ、蓋付きのものなど)を洗って温めてから乾燥させたものを用意する。別の土瓶または鉄瓶で湯を沸かして沸騰させた後に温めておいた湯のみに茶葉を入れて湯を注ぎ入れる。蓋をして茶葉をしばらく蒸らしてからこれを供する。
唐茶並に西国産唐制の茶は煎じて飲むには適していない、必ず淹茶にしなければならない。
2013年02月28日
 煎茶小述
但し、煎茶では茶が完全に沸騰してから茶葉を入れるので、成分が急速に抽出され苦味がすぎることが多い、また入れた茶がヤカンの口から吹きこぼれることもある。
このようなことから、淹茶が好まれることが多い。
しかし煎茶も淹茶も茶の真味を得るための方法であり、これを取り違えてはならない。
2013年03月04日
 煎茶小述
茶の産
諸国に茶の産地は多くそれぞれ名品を自認するが、古来より城州宇治の茶を絶品としている。
江州信楽越渓の産する上品は宇治に劣らない。
肥前嬉野、相良、肥後玖摩、女良播州仙霊、勢州菰野、尾州内津、濃州虎渓、駿州安倍、蘆久保等の書産地の茶も優れているが、山や川の配置や土地の寒暖によってその香味はそれぞれ同じということはない。
2013年03月05日
 煎茶小述
それらの名品を得れば性質に応じて茶を淹れ、清らかに賞味すべし。
百花茶
月令広義では木犀、ジャスミン、バラ、蘭、蓮華、枇杷、木香花、梅などの香花は皆茶に配合することができるとのべている。
清嘉録では珠蘭、ジャスミンは他の省からきて、山塘の遊里に集まる。茶を商うものはこれをブレンド用に買い集める。
2013年03月06日
 煎茶小述
蓮花茶というものがある、半開きの蓮花の中に茶葉を淹れ糸で花弁をくくる。一夜を過ぎ暁の露を含む時
取りだし直に熱湯に入れれば、花の香りと茶の味が共に発する。
蘭の花、梅の花ではその花を摘んで茶に混ぜ合わせ、やはり一夜を過ぎてからその花を取り除いてから茶を淹れる。あるいは蒸露缶(蒸留装置)で梅、菊などの花の露を取り、茶椀に一滴注ぎ入れる。
2013年03月07日
 煎茶小述
沈丁花の花には毒があり用いてはならない。
そもそも上級茶は花の香りを嫌い、いろいろな花を混ぜることは茶本来の味を奪うことになる。
花をブレンドする場合は下級茶あるいは上級茶でも長く保存して茶の香りが失せた物を用いるのがよい。
この百花茶というものは茶人が真に嗜むものではないが、時に一つの趣向であり一概に排除すべきものでもない。
2013年03月08日
 煎茶小述
また桑茶、枸杞茶、五加茶等があるが枳穀芽、枸杞芽、枇杷芽などは皆風邪を治す効果があると茶史に述べられている。花間拾遺には菊苗の柳芽を加工して茶を造ると述べられている。
これはその時々でこれらの茶をうまく用いて茶席に供するのもよい。
茶食
喫茶席上で添えられる料理は淡白清味を用いるのがよい、また多くを食すのは好ましくない。多かったり甘すぎたりすると茶の味を害することになる。
2013年03月11日
 煎茶小述
煮泉小品に、現代人は茶でもてなすときに茶菓子を同時に供するがこれは俗なる習慣である。素晴らしい上質の茶であっても茶菓子がその真の味を損なうこともあるのだ。このようなことから、一律に茶菓子を出すことは控えた方がよい。しかし茶菓子も甘い、苦い、辛い、塩味などそれぞれの味があるので、一概
にすべてやめてしまえということではない、その時と人とによって選択すべきである。
2013年03月14日
 煎茶小述
清賞
酒楼妓館茶の地ではなく、吹弾歌舞茶の席、錦帷幕茶の設え、金盞玉杯茶の器でもない、
茅舎竹屋 小楼静室 松塢朝霞 楓林夕照 楓林夕照 蕉軒雨夜 同人対話 嘉賓適至 搏炉火活
鉄銚湯沸 (カヤぶき竹の家、小さな高殿の静かなる部屋、松の生える丘の朝日の光、紅葉林の夕映え、むめの窓の雪の暁。バショウ軒の雨夜、同好の人間がの所に賓客が訪れ、炉に火が入り鉄瓶の湯が沸き)
砂瓶は緑を点じ、磁器椀の翠を啜る。
2013年03月15日
 煎茶小述
幽人、雅客が真摯に茶を楽しむのは興味深いことだ、およそ茶器は清潔であることを貴び、華飾を貴ぶものではない。
珍しい器を並べ見事な茶宴席を設え華美を競う者は、茶の真髄を語る資格がない。
茶は倹徳の人に宜しという陸子の言葉を味わうべし、貴ぶべし。
                         終わり
御愛読ありがとうございました。
2013年03月21日
 喫茶余録 上
今日から新シリーズ

茶は中国において、呉の孫晧の時代に韋昭が酒の代わりに茶を供したこと、又 謝安が家にいた時に茶と茶菓子の席を設けて陸納をもてなした、というような故事がある。
此の時までは南方の人のみが茶を知っていて、北の人はそれを知らなかった。
2013年03月27日
 喫茶余録
是より広く飲茶が知られるようになったのであるが、その茶の作法が定まっていたわけではない。
唐の陸羽の時代に至って初めてその作法は定まった。
陸羽は復州竟陸の人で、幼少その姓を知らなかった、生長して自らを占ってみると
漸の卦を得て上九の爻に該当している、そこには『鴻漸陽干陸其羽可用為儀』(大鳥が乾いた大地を行くにその羽を用いて儀となす)を吉と知り、陸を姓、羽を名とし鴻漸を字(あざな)とした。
2013年03月28日
 喫茶余録
さらにもう一つの名は疾そして字は季疾。彼は田舎に隠居して桑荢翁と称した、あるいは意陸子とも
東園先生とも東岡子とも号した。
性茶(ありのままの茶、手をくわえ過ぎない茶というほどの意味か)を好み、茶経を著した。また茶の効能を説き茶の淹れ方を論じた。さらに茶具24を造りこの道に傾倒するものも多い。
2013年03月29日
 喫茶余録
また陸羽は建安に居住していた時に、山水の画軸一幅を壁に掛け、香炉一基、古琴一張を側に置き、さらに易の道具、古詩の書物を机に載せて茶席を設え茶を風雅に嗜んだ。
中国での茶席の始まりはこんなふうであった、そして唐から宗に至ってますます茶は盛んになった。
2013年03月30日
 喫茶余録
しかし現在の日本の、茶の湯でいう詫びと言われるような、富貴な者も質素を事とする風雅な作法ではなく、ただ茶の作りと味と色と水とを論ずるものである。
日本における茶の始まりは第五十代桓武天皇の御代に伝教大師が唐に渡り、帰朝する時に茶樹を持ち込み、江州坂本に移し植えると日吉社記に記述がある。
また第五十一代平城天皇、大同元年に弘法大師帰朝の折に茶をもち帰り、弘仁年中に嵯峨天皇に献ずるともある。

*

茶柱ティーバッグ『ふく子』 

販売価格(税込): 972 円

日本で唯一本物の茶柱が立つ煎茶ティーバッグ

茶柱ティーバッグ 合格ふく子

販売価格(税込): 1,080 円

立つ茶柱入り一人用ティーパックです、水またはお湯でお使いください、茶柱がティーパックから分離して直立します。





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