牧之原の緑茶 

  数万年前日本はユーラシア大陸から切り離されました。 その後外国から優れた植物が持ち込まれますが、日本の独特な気候風土の中でそれらの植物は、やさしく、豊かに変質していきます。

牧之原

 日本は、自然風土に恵まれた美しい国です。春・夏・秋・冬、四季折々の恵みは、私たち日本人の生活に潤いと豊かさをもたらしてくれます。自然の恩恵に深くあずかってきた日本人は、自然のなかにあらゆる生命を育み、豊饒(ほうじょう)や繁栄をもたらす生成力を認めてきました。 さまざまな自然現象に、神々の恵みと働きを感じとってきた日本人は、自然と調和した生活を理想とし、自然と触れ合うことによって、絶えずその生命を瑞々しいものにしてきました。こうした自然観のもとで、日本人は、人間は生まれながらにして清らかなものであり、穏やかで澄み渡った心を持つものと考えてきました。そして、神社で神々をお祀りし、信仰する上で常に清浄さを大切にしてきました。

日本と緑茶

私たちの住む静岡県は日本の中でも最も自然環境に恵まれた場所のひとつです。富士山や南アルプスをなどの美しい山々や天竜川、大井川、安倍川等の大河川、あるいは世界でも有数の深度を誇る駿河湾、それらの自然はその麗しい景観と共に豊饒な数々の恵みをもたらしてくれます。徳川家康は晩年を駿府で過ごしたことが知られていますが、鷹狩りを楽しめる野山や興津鯛と言われた白アマダイの漁場のある静岡の自然と産物を愛していたと思われます。この駿河の西隣・遠江の里に牧の原台地があります。清流大井川に抱かれたこの土地はたいへん温暖で降雪は全くありません、近在の幼稚園では冬季に必ず『雪見遠足』を催すぐらいです。反面この土地は乾燥と水理の不便から米作りには適さず明治維新まで榛の木(ヘーゼルナッツの日本種)の茂る未開拓の土地でした。

牧之原台地

1866年-慶応2年12月、徳川慶喜は第15代将軍に就任しました、翌3年10月には大政奉還、翌年4月11日江戸城開城と時代は激しく動き、その後慶喜は謹慎を経て海路駿府(静岡)に移り住むこととなります。またこの年の5月に徳川宗家は存続を許され、6歳の田安亀之助(後に徳川家達)が相続し、駿河・遠江・三河三ヶ国70万石の駿府藩主(明治2年静岡藩と改称)になりました。徳川宗家の駿府藩が成立すると、多くの旧幕臣が、無禄でよいからと駿河・遠江に移住してきました。藩としては、これら旧家臣に生計をいとなませるため、藩内の未開拓地の開墾と、茶の栽培を奨励しました。駿河地方の茶の栽培は、江戸時代に入ってから発展しましたたが、幕末開港以来、茶が生糸につぐ輸出品にまで成長していくためには端緒としての牧の原開拓事業が不可欠でした。


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